大統領の命を守り、世界知一の巨大探偵社を設立?実在した名探偵『アラン・ピンカートン』とは - 2015.05.06(水)
今回は探偵史上もっとも有名な人物「アラン・ピンカートン」についてのご紹介です。
アラン・ピンカートンとは?
アラン・ピンカートンとは、世界最大の探偵社「ピンカートン探偵社」の創始者であり、天才的な捜査技術で多くの犯罪者を捕えてきた実在する名探偵です。
彼の作り上げたピンカートン探偵社は、一時期はアメリカの州軍よりも多い探偵を抱えており、リンカーン大統領の暗殺を防いだり、南北戦争ではスパイ活動まで行って北軍を勝利に導くなど、アメリカの歴史と深い関わりを持つ会社でもあります。
生い立ち
アラン・ピンカートンはスコットランドで生まれましたが、その幼少期は決して恵まれたものではありませんでした。
家は炭鉱町の中にあり、常に貧しい生活を強いられていたといいます。
さらに、まだピンカートンが幼かった頃、工夫だった父親が炭坑内の闘争に巻き込まれ虐殺されるという事件が起きました。
この時、ピンカートンは逃げるように街を離れ、夢を抱いて新大陸『アメリカ』に渡りますが、そこからの人生もまた波乱万丈でした。
樽屋を経営しながら奴隷解放運動に参加?
アメリカ大陸に渡った後も、ピンカートンの生活は苦しいものでした。
しかし、才気あふれるピンカートンは持ち前の機転の良さで事をしのぎ、なんとか生活ができるようになると、1840年にはシカゴ周辺で近くで樽の製造工場を立ち上げる事に成功しました。
元来真面目な性格だったピンカートンは、例え樽一つの制作でも全力で取り組みました。
結果、出来あがる製品の良さや真面目な仕事ぶりが有名になり、工場は次第に拡張していくこととなります。
しかしこのころ、ピンカートンは自分の工場の地下に脱走した奴隷をかくまい、彼らの逃走の手助けをしていました。
元来、正義感が強かったピンカートンはアメリカの奴隷制度に強い反発を示しており、例え工場主として成功しても、その正義感は決して変わらなかったようです。
初の犯罪捜査
工場の経営も軌道にのり、ひと段落したある日、ピンカートンは近所の川に趣味の狩猟に出かけました。
しかしこのとき、ピンカートンは森の中で偶然、怪しい集団を見つけてしまいました。
ピンカートンははその集団をしばらく観察した後、彼らが金貨の偽造を行っている事を確認し、保安官へと連絡しました。
この時やってきたのは街の保安官(シェリフ)であるイエーツでしたが、ピンカートンと共に現場を確認すると、この状況が大変危険なものである事を理解しました。
なにせ、相手は凶悪な犯罪集団であるにもかかわらず、その街にいたのはイエーツのみ。しかも武装も貧弱で、とても一人で全員を逮捕できる訳が無いと踏みました。
そこで、イエーツはピンカートンに強力を要請。しばらく彼らの行動を監視するよう頼んだのです。
するとピンカートンは、彼らの規模、行動パターン、武装などを正確につきとめ、彼らの住処までも突き止めてしまったのです。
これに驚いたイエーツは、犯罪集団の逮捕にピンカートンを立ち会わせた後「君は樽屋なんてやっている場合ではない、今すぐ警官になるんだ」と熱弁し、ピンカートンを口説こうと必死になったと言います。
ですがこの時、ピンカートンは自分の会社がようやく軌道になった所で、それを容易に捨てるような真似はできません。しかし、イエーツは心底ピンカートンの手腕に惚れこんだと見え、街で大きな事件が起きると、すぐにピンカートンの元にやってきて助言を求めていたといいます。
そして、ピンカートンもそうして犯罪捜査に関わるうちに、次第に自分の才能を自覚しはじめ、ついにはイエーツの思惑どおり、シェリフになる事を決意するのです。
設立した探偵社はFBIのモデルにも
そして、ピンカートンがシェリフになった年には、すぐにその才覚は遺憾なく発揮される事となり、ピンカートンはデビューしてすぐにナンバーワン・シェリフの名を欲しいままにしました。
しかし、ピンカートンは警察組織の限界を感じ、4年後に退職。
企業家としての自分の才能もフルに発揮するため、シカゴの弁護士エドワード・ラッカーと共に世界で初めて対犯罪を専門とした探偵社「ピンカートン探偵社」を設立。
『我々は決して眠らない』をモットーに掲げ、現金輸送業と要人警護を筆頭に、州をまたいで犯罪を繰り返すような、警察が対処しきれない凶悪なアウトローなどの捕縛を請け負いはじめました。
そうした業務には、通常のシェリフよりもはるかに優秀な人材が必要になるため、探偵にはシェリフの中でも飛びぬけて優秀な人材を確保し、他業種から積極的にヘッドハンティングを行い、通常では考えられないような高給を与えられたと言います。
さらに、社内規則はかなり厳格で、秘密厳守はもとより、行動規則、情報漏えいへの対策が徹底的に行われ、これにそむいたものは退社を余儀なくされたと言います。
また、1908年代には、アメリカ合衆国連邦捜査局(FBI)の構想が練られた際には、すでに合衆国内で連邦犯罪者を多数逮捕していたピンカートン探偵社の捜査手法はもとより、規範の在り方までモデルにされたと言われます。
リンカーン大統領の暗殺を防ぐ
ピンカートンはリンカーンとの交友も厚く、合衆国大統領にリンカーンが就任した後も、彼の警護にはピンカートン探偵社を使い続けていたとされます。
さらに、その後の南北線戦争の最中でも、リンカーンはピンカートン社に対して、南軍へスパイへと送り込むよう依頼したと言われます。
この件について、戦争行為におけるスパイの重要性を解いたのはピンカートンの方であったと言われており、実際にその活躍はめざましく、ピンカートン社の情報戦術がなければ、北軍の勝利はあり得なかったとまで言われる程でした。
しかし、戦争の終盤になるとピンカートン社の探偵が南軍に捕まり、酷い拷問の末殺されるという事件が発生。
この事件に酷く胸を痛めたピンカートンは、探偵社が政治や戦争に関わる事の恐ろしさ初めて知る事となり、その後リンカーン大統領からの再三の要請を断り、政治の舞台から身を引いたといわれます。
しかし、その直後、リンカーン大統領が暗殺されてしまいます。
この時、リンカーンの周辺を警護していたのは軍の兵士達でしたが、多くの人々がもしもこの時、百戦錬磨のピンカートン社の社員が警護していれば、暗殺されるどころか、拳銃を所持した男が大統領に近づくことなどまず不可能であったろうと言われています。
そして1884年には、アラン・ピンカートンは亡くなりました。
彼の死後、アメリカの巨大企業となったピンカートン探偵社は、ウィリアムとロバートというピンカートンの二人の息子が後を引き継ぎ、さらなる巨大企業へと発展していく事となります。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
探偵の歴史を知るうえで、アラン・ピンカートンほど重要な人物は居ないでしょう。
彼の活躍はアメリカをはじめ、イギリス、ロシアなどでも多く知られる事となり、小説やドラマ、映画などさまざまなメディアミックスが行われています。
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